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正直なところ、
いきていたんだよ、いきていたいんだよ
最近すごくしみじみながら、今まで私が何気なく選んで生きてきた道って
全部今の私に繋がっているんだなぁって。

全日制の高校に行ったこと。
あの高校を選んだ理由なんて、その当時好きな人がそこを受験するから、なんていう馬鹿げたもので、
そもそも高校生きたいとも思ってなかったからどこでも良くて、その竹箆返しが見事に来て、
高校を転学。
しかし、最初から通信制の高校を選んでいたら、きっと卒業した高校は選択肢になかったと思う。
そこで出会った女の子は今の大学で一緒で、そして運動部に私を引き込んでくれた。
他の通信制の高校を選んでいたら、今の大学に私は居なかった。
あの高校を選んだから、今の大学に入れたわけで、もし全日制で死に物狂いで頑張ってたら違う大学か
大学には通ってなかったろうと思う。
それが今。
私は偏差値は低いながらも4年制の大学に潜り込み、サークルを謳歌している。
サークルも、兄が偶々吹奏楽をやっていて、とても楽しそうに毎日を過ごしているから、
吹奏楽って楽しそうだな、って思って吹奏楽を視野に入れていただけで、
運動部も、先に書いたように友達にくっついていっただけで、
それがこうして今渡辺先輩という人に出会うきっかけになり。
渡辺先輩に恋をし。

偶々が重なり合って、時には不協和音を発しながらも、気が付けば一つにまとまって、
一つの道を作ってきた。
それは曲がりくねって、曲がりくねって、酔ってしまうほどの茨の道だったかもしれない。
でも、確実に過去の私が足掻いた足跡は今という私の土台になっていて、
それらが私の今を照らしているんだということ。
社会不安障害という病気になったから、自分の弱さを知った。
見て見ぬ振りを重ねてきた深層を抉られてとても痛い、苦しい思いもした。
だけれど、それと戦って、負けて、戦ってきたからこそ、今快方に向かって走っている。
ううん、歩いている。3歩進んで2歩下がってる。それでも、私は前を向けている。

今の私は社会不安障害という病気の症状をほとんど呑み込んでその病気の上に立っている。
前の私は「社会不安障害という病気を持っているんです」ということをステータスとして
「私はかわいそうな人間だ」「私に同情して」「私はあなたたちより辛いのよ」「あなたたちに何がわかるのよ」
そんなことばかりだったのだ。
「私に同情して」、なんて本当は思ってるつもりなんか微塵もなかった、ううん、他のもきっと。
だけれど、今思えばそんなことばかりだった。
自分で自分のことをかわいそうぶって、悲劇のヒロインにしかなろうとしなかった。
そうしていれば誰かが手を差しのべてくれたし、自分は殻に閉じこもっていようとも誰も文句は言えなかったから。

自分が傷つかないための防衛壁を作るために病気を利用して私は。

でも今はそうは思わない。
そりゃあ病気のことは必要に応じて言う。
薬を服用していることや、治まっている症状が突然襲ってくることがあることも、必要ならば。
だけど誰にも彼にも言って「大丈夫?」と言ってもらいたいわけじゃない。
私は同情されたいわけじゃないんだ。

病気と正面からぶつかって、負けることが怖かった。
弱りきった心にこれ以上傷をつけてやりたくなかったんだ。
だけれど、そんな心を持っているのも私で、それと戦うのも私なら、負けることはないはずなんだ。
だって、少なくとも互角なんだから。
そうでないとおかしいんだから。

私は言い訳の人間。
言い訳しか出来ない人間。
サボる人間。
サボることしか出来ない人間。
怠けた人間。
怠けることしか出来ない人間。
だからこそ、頑張らなくちゃいけなかったし、頑張りすぎてぼろぼろと崩れた。
それを一通り学んだから、ペース配分や自分の体力の限界や、過敏に反応するストレッサーも知った。

全部全部、少なくとも今を生きるのを必要な分だけの経験を一通りしたから、今は辛くない。
一度経験したものは、もう辛いとは思わない。
1度目より2度目の方が辛いなんて、おかしいんだ。
同じことを同じようにしてるなら、同等であり、それ以下なんだから。
2度目の経験が、1度目をはるかに上回るなら、辛いこともあるだろう。
だけど、今の私が生きていくところに、1度目をはるかに上回る辛さは転がってない。
なら、辛くない。

「『苦しいこと』を苦しいと思わない。
 そうして、苦しくても、『これが普通なんだ』と思えるようになれば
 この先 どんなに辛い、苦しいことに直面しても
 乗り越えて行けるようになる」


私の敬愛している人が言った言葉。
それが出来ればどれほどいいだろうと切実に願った日々。
『これが普通なんだ』と言い聞かせて涙が出るほど苦しかった毎日があって、
『苦しいこと』を苦しいと思わないために自分を騙してきた日々があって、
私の辛い苦しいを示すメーターはFullを圧倒的に超えてしまって、気が付けばEmptyになっていたのよ。
一周回って、本当の意味で『苦しいこと』を苦しいと思わなくなった。
思えなくなった、と言ったほうが正しいかもしれない。
そうして、苦しいと思わなくなったから、どんなに辛い、苦しいことに直面しても乗り越えられるようになった。
だって、もう辛い、苦しいと思わなくなったから。

投げやりになったわけじゃない。
感覚が麻痺したんだと言われれば、そうかもしれない。
だけれど、私はそれ以上に、私は学んだんだと思う。
私は何も変っちゃいない。
私の体力の限界も、精神的な限界も何一つ変わっていない。
根本ではいつも弱気で小心者で、他力本願でわがままで言い訳ばかりする卑怯者のままよ。
それでも、私はその現実を理解して、それを自分だと受け入れる覚悟を決めたの。
まだ受け入れられない部分も多くある。受け入れようとしてもどんなに努力しても身につかないことも。
なのに、覚悟一つで何かが変わったような気がして。
現実には本当に何も変わっていないよ。それも知っている。
だから私は物事にいい意味で諦めを抱くことが出来たし、諦めることができたからこそ、
その上に立って何かを築くことも出来るようになった。
そんな気がするの。

私は変わっていない。
でも、免疫みたいなものは出来たんじゃないかなって思う。
今まで生きてきた私の辛い足跡が、私という像を照らしてくれるから。示してくれるから。
これでもかというほど、私の醜い姿を見せ付けられたから。
それでいいじゃないと。
投げやりじゃない。
それでもそれでいいじゃない。
私が生きてきた紆余曲折も、確実に今に繋がっているということは、
今悩んで必死に足掻いていることも、いつかの私に繋がっているということよ。
その日まで、待っていてね、未来の私。
その日まで、馬鹿は馬鹿らしく、必死に足掻き続けるから。



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私は自分の思いを人に伝えるのが下手だ。
今日もそれでいい感じに失敗した。父に嫌な思いをさせました。

例えば「雑然」の記事、あなたはどう受け止める?
私はあの記事を書いたとき精神状態も波があったわけではなく、
不安が取り巻いていたわけでもなく、ただ客観的に「出来るわよね」ということを書いていた。
強いて言うなら「友達にどうメールをしたらいいのか、いつならいいのか」を疑問に抱いていたくらいのものです。
まだ合格発表が終わってなかったら「カラオケ行こうぜ!」なんて言えないですもの。

それでも私はあの記事の書き方がぶっきらぼうであるとは思っていますよ。
句読点をあえてあまり打たなかったり(箇条的に書きたかった)、
口調が投げやり風だったり(それも敢えて)、
あたかも物事に不安や恐怖を感じていると感じさせるような表現
それらすべてが逆効果になっています。
私は最後の3行でこう書きました。

「いろいろさ不安なことは無意味にいっぱいあるけどさ
 とりあえず生きときゃいーじゃん
 そんなもんじゃん」

つまりこれは「気に病んでも仕方がないから普通にのんびり生きていこうや」という意味でした。
そして友達について触れた部分。

「だけどさ、もう長く友達に会って無いとどうすればいいのかわかんないさ
 カラオケどう誘えば好いのかとかいや、合格発表は済んだのかとかいや、卒業おめでとうだとか
 明日友達は卒業するんだ
 そう私が知らない間に大人になるんだ」

これは
「私が知らない間にみんな大人になるね、だけど同じだけ生きてきた私も大人になるんだよ
 別の道を歩もうとお互い大人になってゆくことに違いは無いんだ
 それは自分たちも気が付かないうちに
 卒業おめでとう」
という意味。

私は言葉が足りないのでしょうか。
私なりの表現はかなり誤解を招きます。
大概私なりの表現は本質が相手に伝わらないうちに相手に不快感を与えて終わります。
ボキャブラリーが少ないのでしょうか。
表現方法が少ないのでしょうか。
表現が回りくどすぎるのでしょうか。
その物事の本質を見えにくいところに置きすぎなんでしょうか。
私は相手が言っていることをそのままの意味とその人の今置かれている状況、育った環境などを考えて
もう一つの隠されている意味を読み解く作業をします。
しかしそれが他の人はしないことだったら、私がそれを前提に喋れば誤解は招かざるを得ないのか。
私が伝えたいことは他の人にとっては暗号なのだろうか。
読み解けないほど難解なのだろうか。
それとも言葉の意味を私が履き違えているのだろうか。

私は心の素肌を見せたく無いから幾重もの言葉を纏って自分を守るようにしてきた。
成長するにしたがって単純明快な言葉より複数の意味を持つ、そしてそれらがすべて効果的になるような
そんな言葉を好んで使うようになった。
その方が私の意図していることを書きやすかったし、私の心象がその意味だったから。
それでも、そんな面倒くさい言葉は普段みんな使わないから「確かこんなニュアンスだった」という
曖昧な記憶から私の話を理解してしまう。
私はこのブログを書くときも、あまり普段使わない言葉を使用するとき、ちゃんと意味を調べる。
英単語もそうだ。
その意味を私なりにちゃんと理解し、その動詞、形容詞、名詞、などの品詞を確認し、文章表現をする際に
どう繋げていけばいいのかも調べて、文章のどの場所でその言葉を使えば効果的にその言葉の意味を
引き出せるかも加味した上で表現する。
それって他の人にとっては本当に面倒くさいだろうし、わかりづらいと思う。
でもそれが私の言葉であり、伝えたいことなんだよ。

お父さんはひねくれているし、それも考えた上で話を進めないといけない。
私も同じくらいひねくれているから、と思って言葉をぽろっとこぼしてしまえば、お父さんは怒る。
「いや、そういう意味で言ったんじゃないし、普通今の言葉を今のように使ってもそうは取らないでしょ」
というような取り方を父はするので、父とは話がしがたい。
分かり合おうとしたところであの人はかなり無理だ。
全部喧嘩売られてると取るから。私にそんなつもりは微塵も無いのに。

私は私を知ってる人から見たらかなり意地が悪くて自分のことだけ考えて自分だけよければいいと考えてる人間だと
思われているけれど、そうじゃないよ。
これは自分のことだから自分の都合のいいように言ってるって思われるかもしれないけれど、
私は自分のことより人のこと、の人間だ。
自分が嫌な思いをしても他の人が嫌な思いをせずに済むならそれがいい。
確かに自分から相手に幸せを運ぶようなことはしない。
だけれど、状況が悪しく、どちらかが嫌な思いをし、傷つかなくてはならない時は私が傷つけばいいと思ってる。
もちろん自分のことも考える。それは自分を守るために必要だから。
でも、それは自分に危害が加えられないか、ということを考えているだけであって、
益をどうすれば自分の手中に入れられるか、を考えているわけでは、ない。
自分の利益なんて別にどうでもいい。人のためになにかをする事の方が何万倍も大事だ。
でも、結局のところ、恥ずかしがり屋で照れ屋で飄々としているから相手はそんなこと気付かない。
知る由も無い。
母も父も、私がそんな人間だって事、知らない。
知ることが出来ない。
私が照れや恥ずかしさで隠しているし、演技もいっぱいするから。

こうして私は今日も、自分の言いたいことの1割も理解されずに
”自分に都合のいい意地の悪い人間”ということになっていく。
でもそれが私の蒔いた種なんだから仕方ない。
いつか理解してくれる人は現われるのだろうか。
そうだといいね。



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自分って卑屈を絵に描いたような人物だなーとかしみじみ思うわけさ。
目つき悪いしね。
僻みに妬みに怨みにまぁ余計なものばかりに取り巻かれて恵方巻き。
ネガティブだしねー。
そら友達も出来ないさ。敬遠されるさ。
なーんてしみじみ思うわけさ。
でもそれが私ならそれを受け入れてくれる人を探そうとか、そういうことじゃなくて
私がそれを受け入れてやろうじゃないの、ってね、思ったりもするわけよ。
でも、そうするとね、やっぱり自分に都合のいい我儘な人間になりかねないわけよ、私みたいなちっさい人間の場合。
かといって、自分を認めないでいるのはそれはそれで問題なのよねー、私においては。
というかさー私って被害妄想的自己愛がすごく強いと思うわけ。
ある意味で自分は“特別に”、“人が受けていないほど、違うほど”に酷い仕打ちを受けているのだ、とかさ。
自分は人から見られているとか、そんなの自意識過剰なだけじゃん。
そんなのわかっとるわ。
それでも被害妄想的な自意識過剰は今まで生きてきた背景からいろいろと事情があってそうなっているわけでさ、
決してただの自意識過剰じゃないわけですのよ。
いや、これも自分を特別視しているのに含まれるのか。
そうよねー私は平々凡々でなーにたいしたことない、特別な才能があるわけでもない、
単なるふっつーの人間ですわよねー
あ、これは僻み的に聞こえるかもしれないけれど、そういうニュアンスで言ってるわけじゃないのよ。
わかっておくんなまし。
あーなんかさー私って結局自分が思っている以上にどこまでも普通なんだなぁって思うと寂しかっただけ。



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人からどう思われようと関係ないと、勝手気ままに振舞えば
僕の病は砂漠に落ちた氷のようにあっという間に解けるだろう。
だけれど、そうはいかないから、ううんと唸って生きているだけさ。

言葉遣い一つにしたってそうだ。
私は、(他)人に対して言葉が丁寧すぎるところがある。
それは、(他)人に不愉快な思いをさせずに済む上、こちらにも危害を加えられるリスクが少ないし、
物事がスムーズに運ぶから、それはそれでいいのだと思う。
けれど、親しくなっても、敬語はやめられないし、親しき仲にも礼儀あり、というより
あからさまによそよそしくて壁を作っているように相手に思われてしまう。
普通にタメ口の吐きかただって知っている、若い子らの言葉も凡そ使える。
だけれど、タメ口を(他)人に使うと、私はとてもテンパってしまって、うまく会話が続かなくなるのだ。
だから、スムーズに会話が運び、私も落ち着いて話せる敬語の方が楽なのだ。
だけれど、その「敬語」が私の普通の言葉、私の言葉、であっても、
若い同世代の子らにはそうではない。
私は、言葉遣いや多少の常識だけなら、きっと新社会人よりよっぽどましだろうと思う。
だけど、世渡りは下手なのだ。
結局プラスマイナスゼロで、年上には可愛がられても、同い年や年下には好かれない、というより近づけない。

もっと、中学や高校でそういうことを身につけておけばよかったと本当につくづく思う。
逃げずに、ちゃんと向き合えば、自分の力になっただろうし、こういう状況を招かずに済んだかもしれない。
でも、元々かなりの面倒くさがりやな上にサボり癖のある私は結局こうなる運命だったのかもしれない。
もはや、どうとでも言える。


もう何も要らない、と、本当に心の底から思えたら

さ、殺って



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こんちには。(←打ち間違い)

眠る前に妄想をして、にたにたしながらその物語の中の会話を詩に書くと
ちょっくら痛々しいものになっているので書くのをやめました。

どうして人は人に縋って依存して満足してしまうものなのか。
いや、私は。
愛してると、言って欲しくてどれだけ私は齷齪馬鹿みたいにはしゃいで嘆いて一喜一憂して。

愚者になりたかった?
私は?
賢者になりたかった?
あたしは?

よくわかんないまま時だけが過ぎて気が付いたら私の周りには誰も居なくて
誰かの遺灰だけ私の傍に落ちてた。
掬った瞬間にすべてが舞って一瞬のうちに溶けてしまう灰は、徒私に時が過ぎたことを知らせる。
その繰り返しで心は空虚を窮めて涙すらも無味になって。

誰にもわかられたくなんかなかった。
だけど誰かに私を知ってほしかった。

その天秤が上へ下へと気紛れに行き来しながら人は生きるんだろう。
だけれど私はその上下の起伏が激しくて何もかもを疎ましく思ってしまった。

そして皆を妬ましく羨んだ。

私に無いものすべてを欲しがって、皆にあるものすべてを嫌がった。

どうしようもなくなっているけれどそれに慣れた私はこのままで好いと現状に甘んじて
なにもかもを投げ出した。

人を愛していた。
人が嫌になった。

大好きな人にさえ愛を注ぐことが出来なくなり、ただ感情の湧き出ない腐った井戸と化した私の心は
人との繋がりもその腐った心の異臭から疎遠にさせ、自分すらも嘲笑って。

うらやましかっただけ。
それだけなの。
わたしがほしかったのは、あなたとおなじもの。
そしてわたしがねがったのは、あなたとちがうもの。
それだけだったのよ。
あいしているから臆病であいしていないから手を出さなかったの。
それだけよ。
それだけ。

ねぇ。わたしよ。ほんとうの声をきかせて。



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HN:
もみじ
性別:
女性
職業:
パートタイム派遣社員。
趣味:
被害妄想
自己紹介:
社会不安障害だったりする
非正規労働者によるブログ。

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打たれ弱いので。ごめんなさい。

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